2017/04/02

物欲ない僕が見つけた「一生モノだと思ったアイテム」

※あまりにもブログを書いてないので、リハビリがてら書いておく。


僕は元々、持ち物に対するこだわりがない。
洋服は着ていて楽ならなんでもいいし、
時計やアクセサリーも身に着けない。

楽器も、ワーウィックの5弦がかっこよくて意外と安い、と知れば「欲しいなあ」くらいは思うが実際には買わない。
音楽活動してた時も、DTM機材はなるべく少なく、必要最低限に済ませていた。

そんな感じで着るもの身に着けるものに一切こだわりがなかったのだが、ここ数年で立て続けに「これは一生モノかも」と思えるものに色々と出会ったので、まとめておきます。

靴「SPINGLE MOVE SPM-110 White

画像引用:スピングル公式サイト
究極の履き心地を追求した国産スニーカー、と謡っている本当にそのまま。
カンガルー皮で作られたスニーカーで、4年前くらいに偶然見つけた。

すごくしなやかで、履いてて圧迫感がない。しかも頑丈。
僕はスニーカーを買ったらひたすら一足を履きつぶすまで使うので、
大体1年くらい経つとどこかしらが穴が開いたり、皮がへたってくる。
このスニーカーは素足に近い履き心地なのにとても頑丈なので履きつぶすまで相当な年月がかかる。

あまりに頑丈だからか、先にソールなどゴムの部分がすり減ってしまうのだけど、
メーカーがソールのゴム部分だけリペアするサービスもやっているので、
大切にメンテしながらはけば10年くらい持ちそう。

もう、本当にこのスニーカー以外買いたいと思えないし、
万が一カンガルー皮のスニーカーがこの世から消えたら、その日から何を履いて暮せばいいんだろう?というくらいの一品。

コート「AMERICAN RAG CIE モッズコート 114-AFN-M162-CO001

画像引用:アメリカンラグシー公式サイト
1年前に、なんとなく「モッズコート欲しいなあ」と思ったときに偶然見つけた。
いまよりはまだ着るものにこだわりがあった20代の頃、よくアメリカンラグシーで買い物をしていて、何となく信頼感のあるショップだった。

写真だとかなり暖かそうなボアがついてて、中もインナーがかなり厚手なのだけど、外した状態でもかなり防寒・防風がしっかりして断熱してくれるので、恐らく東京で生活するうえでは不要。
インナーとボア部分は雪山とか行くときに重宝する感じ。

モッズコートって、結構出してるブランドは多いのだけど、なんか生地の感じがしっくりこなかったり、妙にカジュアルすぎるやつとかあるんだけど、
これは凄くベーシックな雰囲気で、イギリスのアーティストが着てるような感じのが好みの人には合うと思う。

パーカー「ループウィラーHigh-neck Hoodie ハイジップパーカ

画像引用:アマゾン
ジップアップパーカーばかり毎日着てる。
ユニクロで適当に買ったやつを着回していたのだけど、わりとペラペラな素材なので、どうせ拘って着るなら一着くらいいいやつ買ってもいいかな?と思って買った。

妻が以前からこのブランドのパーカーを愛用してて、絶妙にいい感じの雰囲気がしてたので、千駄ヶ谷のショップに見に行った。
本当は薄いグレーのやつがよかったのだけど、在庫がなかったのでネイビーを購入。

厚手で糸や編み方にも拘ってるだけあって、首回りのシルエットがかなりしっかりしていて、着心地は抜群
前に、ユニクロのペラペラのパーカーでとある取材を受けたら、写真がかなり残念なことになっていたので(だらしなく見える)
購入以降、カジュアルな服装で取材を受ける際は大体毎回着ている。


画像引用:SHURE公式サイト
これたぶん途中1回買い替えて6年くらい使っている。
Bluetoothのワイヤレスイヤホンに乗り換えたいのに、これが気に入りすぎて買い替えできない。

ステージとかでアーティストが使用するイヤーモニターのような密閉性の高さがポイント。
イヤーパッドの大きさが3種類あるので、耳の形に合わせて付け替えが出来る。
装着すると、ノイズキャンセリングじゃないのに無音状態でも周囲の音がほぼ聞こえなくなる。
(※あまりに聞こえなくなるので、自転車に乗りながらとかはたぶん危険)

遮音性が高いので、音量を大きくしなくても快適にリスニング出来る、なので長時間使用してても耳がつかれない。
音質も、良い意味でクセがなく、個人的には低温が妙な膨らみ方をしないので快適。
はやくこいつのワイヤレスタイプが発売してほしい・・・

以上。

最近、「いい加減、カジュアルな雰囲気だけど年相応のしっかりした雰囲気を出したいなあ」と思ってたのだが、妻の影響からか(アパレル経験が長いので服にこだわりがある)こういうアイテムを買うようになった。

あと5年くらい経ったら、かばんや時計にも気を遣うようになるのかなー

2016/12/13

東大制作展2016”fake future”を見に行った。

いま住んでるとこ、東大の本郷キャンパスに近いんです。
歩いて10分くらい。

近所に、雰囲気のいい昔ながらの喫茶店があって、
たまにそこで東大生っぽい子が分厚い専門書開いて、コーヒー飲んでたり、
初々しいカップルが結構まじめな議論してたりする。


このあいだ、東大の本郷キャンパスで
fake futureという楽しそうな展示をやってたので行ってきました。


ちょうど紅葉一歩手前、くらいのいちょう並木で、
キャンパス内は近所の子供たちが遊んでたり、ご老人が写生したりしてました。




fake futureは、(以下引用)
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http://www.iiiexhibition.com/
東京大学大学院情報学環・学際情報学府の授業の一環、
学生主体でやってるメディアアートの展覧会。
普段の研究で培った技術や思索を、作品として形にすることで、より多くの方に最先端の研究に触れ、親しみをもっていただくことを目的としています。
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ということで。
最先端の研究に親しんでみるかと。


以下、僕が個人的に「おおー」と思ったもの。


・透眼(とうがん)

とあるプロセスを踏むと、
目の前にカメラが無いのに、自分の顔を撮影されている。
わかりやすく「えっ!?これどういう仕組み?」っていう。

画像引用:http://www.iiiexhibition.com/

わかりやすく驚きがある、からくりが知りたくなる。
「研究や技術への興味の入り口」があるなあ、と。


・READY TO CRAWL

3Dプリンターで作った、クマムシやトカゲ。
しかも「本来の」動き方を真似て、ちゃんと歩く。



うちの嫁がなぜかクマムシに異様な興味を示していた。

ただあの、「卵の状態で作成してそこから削り出してる」って工程が
個人的にぐっとこさせる大事なポイントなのに
そこがあまり展示スペースで表現されてなかったのが残念だった。


・ゆらゆら立体灯

画像に、とある細工を「1つ施す」と、
静止画のはずなのに動いて見える。
プロジェクションマッピングもの。



これは、展示が凄く良くて、
「なんで動いてるかというと、こういう仕掛けですよー」ってのが
30秒くらい眺めれば誰でもわかるようになっていて、
個人的に好きだった。


天国への階段、はメンテ中か何かで見られなかったのだけど
その他は、ほぼ全部見た。

面白かった。
また次の展示があったらぜひ行きたい。

東大って「赤門どーーーーん!」って感じなので
頭がよくない人が門をくぐったら、見えないバリアで跳ね返されそうな雰囲気があるじゃないですか
(※ありません)



でもちょくちょく面白いことやってるし、今後も色々やってくみたいなので
気になった人は↓
facebook
https://www.facebook.com/iiiexhibition/
twitter
https://twitter.com/iiiEx

で。

凄く面白かったからこそ、ここ改善されたらもっといいなーと思ったこと。

・展示をやってるよー!って案内が、校舎に入るまでほぼ皆無。

工学部2号館って、結構奥まった場所にあって、
入口に近い辺りは、土日だったのでいろーんな人たちがたくさんいたのですよ。
子供も大人も。

絶対、あの展示見て興奮して技術とかに興味もつ人いると思うの。
人員とか、学生主導でやってるから仕方ない部分あるだろうけど、

ほんと数10メートル先にたくさん人がいたので、
「ここでこういうこといまやってますー」って告知しても良かったのでは。
(※ネットは結構駆使してたので”あえてそうした”のかも)

・メディアアート側に比重が置かれすぎちゃってる展示がいくつか。

普段は、工学部の方たちなんでメディアアートをやりたい人、では無い気もしてて、
中には展示をみて、横にある説明をみて「ふーん」で終わっちゃうものもあった。
(メディアアート展の”あるある”だと思う)

一方、前述のゆらゆら立体灯みたく、シンプルに綺麗にまとまってるものもあって、
なんだか、展示のクオリティがバラバラ。
わかりやすく届けることがメディアアートの目的、ではないとわかっていても、
なんか、もやっとした。

2016/12/12

強化義体世界大会「サイバスロン」、人体とテクノロジー融合の未来


先日、WIRED主催のサイバスロン報告会イベントに行ってきました。

イベントの元となった記事はこちら↓
[wired]そこに障害者と健常者の境目はなかった:2016年サイバスロン現地レポート
http://wired.jp/2016/10/11/2016-cybathlon-report/


今年10月に、スイスで「サイバスロン」という大会が開催されました。
もともと、ロボット工学を応用した補装具の普及を目的に創設された障害者スポーツ大会なんですが、最初にこのイベントを知ったとき、色々思ったのです。

サイバスロンは、
 ・未来のエンターテイメントの発芽で
 ・人と技術の融合において重要な役割を果たす、
 ・自分と違う他者への寛容さ・多様性に寄与する。
 ・しかも大きな産業・市場を創出する。
 ・技術の社会実装プロセスに使える。
そういうものなのではないかと。


細かいルールや詳細は前述のWired記事を読んでください。
スイス・チューリッヒ郊外の、7,000人収容可能なアイスホッケー試合会場は、
チケットが売り切れ、当日もチケットを求める人が会場の外にいたそうです。


サイバスロンは、障害者が競技者となる点で、パラリンピックと近い印象を持ちますが、
実際には、競技を行う「パイロット」、そのパイロットが乗る(装着する)マシンを作成し、チューンナップする「技術者たち」の融合したチームで行うので、個人的にはF1などのモータースポーツに近いと思います。

サイバスロン全部説明したり、イベントのやりとり書くと長くなるんで
個人的に「おっ!」と思ったことを羅列

画像引用:Wired
筋肉の電位を測定し装着者の意思を読み取る義手「メルティンMMI」


○20年間足を動かしたことがないパイロットが、ペダルを漕ぐ

実際に、日本から参加したメルティンMMIチームのFESバイクレースパイロットは、足を切断してから20年間「自分の足を動かす」という感覚がありません。
このパイロットは、電気刺激型のバイク(見た目は、車いすっぽい)に乗って、実際にペダルを動かして走っている。

足を動かすのが不自由な人が補助を受けて競技するのがパラリンピックなら、
サイバスロンの場合、「足を動かす概念自体が消えたはず」の人が競技をしている。



○人と技術が融合

技術にスポットの当たった競技大会、といえば「ロボットコンテスト」とかがある。
サイバスロンの場合、「パイロットが駆使する技術・マシン」が、
本当にその製品を使うターゲットである。という点が特色。

人、にスポットが当たったパラリンピックとも違う、
技術、にスポットが当たったロボットコンテストとも違う、
人と技術、が対決するAIとの囲碁勝負とも違う、

人と技術がチームを組み、本来できなかったはずのことをやる
(F1であれば時速300kmで走る、サイバスロンなら足が無い人がペダルを漕いで走る)

それを通じて「こんな技術がもう実用的にあるんだ」ということを、見ている人が知る。
大会に勝つために、自分たちの技術をアピールするために、
研究成果を「競技のマシン」として披露し、より研ぎ澄ませる。


○なにが「障害」で、だれが「障害者」なのか

サイバスロンのパイロットが障害者ですが、そもそも障害者ってなんだろう?
僕は、視力が1.5以上ある、
妻は、視力が悪く眼鏡かコンタクトがなければ外出も難しい。

しかし妻は別に視覚障害者ではない。
それは「眼鏡とコンタクトレンズ」の技術によって、僕と同じ生活を送っているから。

でも僕は、目の中にものを入れるなんて怖い!!と思うので、カラコンとか絶対装着できない。
コンタクトレンズが不要であると同時に、そもそも装着できない

じゃあ、コンタクトレンズの技術が向上して、
「装着したら視力4.0になるのが当たり前」の世界になったら?

妻が便利だから、と当然のようにそれを装着し、
僕は相変わらず「眼の中にコンタクトとか怖い絶対無理!!」となったら?


たしかイベント中にメルティンMMIの粕谷さんが仰ってたのですが
”2本の腕があるから健常者、という定義はおかしい。ぼくは、はんだ付けの作業をする時に、腕が2本なのを毎回不自由だと感じている。正直、腕が3本あって駆使できるほうが色々と便利だ。2本の腕と脚を自由に動かす人を健常者と呼ぶのは、 3本の腕を駆使するやつが現れたら、そっちがスタンダードになる。”現時点でそれが最高レベルだから。

※サイバスロンのオフィシャルトレーラー動画

○健常者と障害者のコミュニケーション

パイロットは障害者、技術クルーは健常者が中心。
この両者が、大会での勝利を目指して試行錯誤し、意見交換し、訓練・練習を続ける。

これは、「選手とコーチ」や「F1ドライバーとメカニックチーム」の関係と近い。
強化車いすの競技に出場した和歌山大学の中嶋さんは、
「本来なら、妥協せずがっぷり四つの関係性を作りたかった、
しかし実際には、どこまで踏み込んでいいのか、
どこまでぶつかり合っていいのか、難しかった」
と言ってた。

パイロットと過ごした日数も少ないだろうし、サイバスロン自体がまだ始まったばかり。
けど、自分たちのマシンを最もうまく乗りこなし、長い年月をかけて信頼関係を築いた場合、
この「難しさ」はどうなるのか。

○未来のスポーツエンターテイメント

視力4.0のコンタクトレンズ、しかも瞬時にピントが合わせられる、となったら
それを装着し、オリンピックに出場するのは、どういう扱いになるんだろう。
競技によっては、大きなアドバンテージ(有利・不利を作り出す要因)になる。

いくらでも最先端のコンタクトを装着して構わなくなるのか、
ルール自体の改正が必要に迫られるのか。

そして、「視力4.0ってあんなレベルで見極めるのかよ!すげえ!」という
驚きと感動を視聴者に届けるのか。

一流アスリートが身に着けてる一流の製品って大ヒットするじゃないですか。シューズとか。
世界中にいる、足の不自由な人、足の先が欠損した人がサイバスロンを見て、
「なぜあんなに自由にペダルを駆使して移動できるんだ・・・!」となったら。


○隠さない、むしろ「自慢する」という風潮

目が悪い人が眼鏡かけて、そのメガネが超かっこよかったら、
自慢はしなくても「見てほしいなあ」くらい思うのは自然だし、
そもそも「メガネが似合う顔」ってある。

「美しい義足」で有名な、東大生産技術研究所の山中俊治教授は
”義足を装着した人は、まずそれを隠したがる。しかし、その義足が予想以上に自由自在に高性能で、外観もかっこいいと、次第に見せびらかしたくなる”と言っている。
画像引用:東京大学生産技術研究所 山中俊治研究室


当たり前だ、自分が使ってるものが高性能で、自分しか持ってなかったら、自慢したくなるもの。


○トラブルが起きたら

オリンピックやF1、いや大体のスポーツが、
仮に選手が練習中・試合中にケガをしたとして、

かわいそう、痛そう、ひどい、とは思うだろうけど、同時に
「まあ、ぎりぎりの勝負の世界では、多少のケガは仕方ない」と思うでしょ?
(※著しくひどい症状や、明らかにルールや運営の不備によるものは除く)

じゃあ、サイバスロンの大会で、いま同じことが起きたら?
パイロットが、マシントラブルで例えば腕に大やけどを負いました。

F1のドライバーが、マシントラブルで起きた火災に巻き込まれ、
腕に大やけどを負いましたってニュースとまったく同じように、
自分は、周囲は、受け止められるか?


○お金がかかる、企業スポンサーの参入

スイスと日本の間で、莫大な機器を輸送せねばならず、
輸送費だけで往復200万円くらい掛かったらしい。

サイバスロンは、現状の目的が「福祉関連技術の発展」のため、という方向性なので、
この領域における大企業が大会をスポンサードするとか、
賞金を出すとか、もしくはチーム単位で支援するとか
新しい文化の創造、という文脈で某飲料メーカーが支援するとか

そういう動きがあっても、別におかしくない。
というか、すでに動いてるんだろうし、
海外じゃクラウドファンディングで資金募ったりスポーツメーカーに売り込んでるチームもある。

○エンターテイメントとして社会に実装させてしまう

技術の研究と実用化、っていまやっている仕事が関わり深いんで
どうしてもアンテナが反応しちゃうのだけど、

「普通にエンタメとして成立しちゃうもの」がやっぱり強い。
最近だとVR。
テレビでバンバンやって、ラジオでいろんな芸人が話のネタにして。


社会的な意義はある!でも市場価値はよくわからない!
みたいなの、大事なんだけど、10年スパンでみてジリ貧だったら意味ないと思う。

結局ボランティアでしか成立しません、って
関わってる人たちが率先して実証しちゃうの、
本当にいいことなのかな?

「いや、普通にエンタメとして超面白いから」

「面白いから、当然関連ビジネスとかいっぱい立ち上がって市場作っちゃうから」

「すげー注目されてる大会だから、一流のチームはめっちゃ賞金もらうし」

「パイロットも技術クルーも超かっこいい、あー将来サイバスロンの技術者になって優勝したいなー!」って子供が出てきたら。


こうあるべきなんじゃ?何かあるかなあ?と思って、最近発見したのがこのサイバスロンでした。


ほんとは不寛容さの許容、みたいな文脈としての
サイバスロンが持つ可能性の話も書く気だったけど、

疲れたので別エントリーにする。
退役軍人も、肌の色や腕の本数が違う人も、
あまり周囲に見る機会が少ない日本における可能性の話。

---
サイバスロン公式サイト
http://www.cybathlon.ethz.ch/

日本からの参加チーム
メルティンMMI
http://meltin.jp/home/ja/home/




2016/10/12

ありがとうございました。最高でした。

画像は公式サイトから。

ブンブンサテライツの川島さんが10月9日に永眠しました。
既に5月に公式ブログで発表されていた内容
を見ていたので、正直そう長くはないと思っていました。

活動が終了、という事実よりも
上記のリンクにある
正確な意思の疎通が難しいので、今彼が何を考えて何を思って毎日を過ごしているのか、僕でも少し理解しきれない時があります。
という中野さんの文章があまりに重すぎて、衝撃的過ぎて、
もうそこまでの状況にあるんだ・・・と思ってました。


ここからおっさんの昔語りをします。

---
最初はたしか17年前。
当時僕は音楽活動をしながらフリーター生活で、昼夜が逆転するような生活をしていて、
夜中に、NHK-BSをだらだらと見ていたら、知らない2人組のアーティストが回るヨーロッパツアーを密着取材する、というドキュメンタリー番組が放映されていました。

そこで聞いた曲に衝撃を受け、次の日CDを買いに。
テレビから流れていた曲は「DIG THE NEW BREED」
CD屋にあった視聴機で流れてきたのは「PUSH EJECT」でした。



2000年、ぼくはとある家電量販店に勤めてました。
何がきっかけかは忘れましたが、フジロックにブンブンサテライツが出るというので
1日だけ日帰りで、職場の同僚と苗場に行きました。

仕事を終わらせて夜中に出発し、明け方苗場着。
仕事明けでほとんど寝てないなか、暑い昼過ぎのホワイトステージで
はじめてブンブンサテライツのライブを体験しました。

ずっと居たかったけど、帰れないとまた次の日も仕事だ。
グリーンステージのヘッドライナーを横目に、駐車場に戻ったのを覚えてます。
プライマルスクリームがやってたなー。
その次の年から、毎年3日間フル参戦するのが何年も続きました。



2003年、ぼくはIT会社に転職しました。
転職して2か月後、いまはなき渋谷AXでライブをやるというので
はじめてワンマンライブを仕事終わりに観に行きました。

ライブが終わった後、もう疲れ切って帰るのも面倒だったので、
オフィスに戻り、ぼーっとしていると、右腕が死ぬほど痛いことに気が付きました。
ライブ中、気が付かないうちに右腕を脱臼していました。
ライブの余韻に浸り、オフィスに戻ってきて、数時間経ってやっとそのことに気が付きました。



2011年、僕はとあるスタートアップ企業で働いてました。
広報・PRの担当だったので、たまにメディアに取材されたりもしました。

ある日、FMのラジオ局から「先進的なテクノロジーを使ってる企業の人を取り上げたい」と出演依頼が届き、なぜか僕が出ることになりました。
そして事前に「あなたにとってのテクノロジー」をテーマになにか曲をリクエストしてくれ、という謎の質問事項がありました。

ブンブンサテライツの「PUSH EJECT」という曲を、と返信して出演当日を迎えました。

有名なラジオパーソナリティの方のリードで、とくに問題なく出番が終わりかけたとき
「最後に、1曲テクノロジーをテーマに挙げてもらえませんか?」というフリが。

ああ、ここで使うのか、と思い
「あ、はい。ブンブンサテライツのPUSH EJECTという曲を」というと
「なるほど!ちなみに、なぜこの曲を選んだんですか?」と聞かれました。

は?
理由?理由もいうの?そんなの事前の質問事項に無いよ?と一瞬頭が真っ白になりかけ、

「あのう、テクノロジーって生身の体と融合して初めて大きな意味を持つものだと思っていて
僕にとって、それを体現してる曲がこれなんです」と完全アドリブで答えました。

テクノロジー企業の広報さんが平日昼のFMラジオに出て、たどたどしくトークした後
10年以上前に発売された、15/8拍子に乗せたダンスミュージックを紹介する。
しかも謎の一押し理由まで添えて。

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今日、川島さんの訃報に接し、ツイッター上を色々検索してみました。
"PUSH EJECT"というワードで検索したところ、

「知らない場所に連れて行ってくれる存在だった」
というニュアンスのことを言ってる人が何人かいました。

もちろん最近の作品もライブも好きだけど、
なんというか、初期(アルバムでいうOUT LOUD、UMBRA)の感じは

本当に、わけのわからないところにいつの間にか
気が付いたら連れてかれる感覚があったんです。
しかも、(腕が脱臼したことに気が付かないくらい)踊り狂いながら。


好きなアーティスト挙げろ、と言われたら500組くらいはさらさら挙げれる自信はあるんですが
訃報にふれて、こういうブログを書かずにはいれないアーティストがあと何組いるかな、

ということを考えながら書きました。

公式サイトから引用
「そして、最後に一言だけ言わせてください。ブンブンサテライツでした!!」
http://www.bbs-net.com/

ありがとうございました!最高でした!

2016/10/03

映画「怒り」を観た後に、原作を読んだ。(ネタばれ無し)

画像はeiga.com/から引用

映画を見て、あとから原作読んだんですけど。
この作品に関してはその順番(映画→原作)がおススメかも。


理由は後述。


作品内では、3つの物語が平行する。東京・千葉・沖縄
(※警察の動きも入れれば4つ、なんだけど原作ほどフォーカスが当たってないので3つ。)


1.千葉:漁港で働き男手ひとつで娘を育てる

(渡辺謙、宮崎あおい、松山ケンイチ)

キーワード「負い目」
とにかく負い目を感じている。

狭い田舎で、すぐに娘に関するうわさや悪評が出回る。
それと戦い娘を守ろうとしても仕方がないと我慢する父親

自分が人と違うことを薄々わかっていて、自分を大事にしないし、
自分を大事にしてくれる人はおそらくいない、という考えに至っている娘

本当は、自分の娘が幸せな人生を歩めると思っていない父親
自分みたいな女に好意を寄せる男は、まともなやつなわけがないと思っている娘

何かの恐怖や警戒心を常にまとわなければ生きていけない、
というオーラを全身から放っている若い男


2.東京:ひょんなことで共同生活をはじめるゲイカップル

(妻夫木聡、綾野剛)

キーワード「諦念」
みんな諦めている。

病気の母親は、もう長くは生きれない。
好きな男と一生過ごしても、社会通念上そいつと一緒の墓には入れないと思っている。

たくさん楽しい予定を入れ、おいしいものを食べ、踊り狂っても、何も楽しくないと実はわかっている。

妻夫木の冒頭のセリフで
えーもう少し居ましょうよ、俺なんてもう「楽しいフリしてるのが楽しい」ってレベルまで来ちゃってますから
ってのと、中盤の
予定いっぱい入れて、毎日バタバタしてるのが楽しいと思ってたんだけど」
があるんだけど、このセリフで全部表してるよなーと思った。
東京で楽しいフリして毎日を送ってるやつ100万人くらい殺す威力ある。


3.沖縄:無人島で暮らす男と、知り合った若い2人

(広瀬すず、森山未來、佐久本宝)

キーワード「閉塞感」

作品見終わってまず思ったこと
なんで映画のポスターとかに佐久本宝くん入ってねえんだよ!入れるべきだろ!!

これ。

辰也役の佐久本宝くん凄い。無名でほぼ演技経験無い新人らしい。ほんと?
この映画、辰也君いなかったら成立しないじゃん。と思った。

とにかく景色がきれい。素晴らしいロケーション。
一度でも南の島・離島に訪れたことがあるなら
「ああーいいなあー」と自分の記憶にある美しい風景と重ねられる。


けど、実際はどこまでも抜けるような青空の下に、
無限に続く青い海のように、
絶望的で閉塞的な世界が広がっていること、が描かれる。


なんの成果も生まない社会活動に精を出す父親を見る息子
不平不満がある、好きじゃない。けど、それを母親に伝えない娘
とある事件が起きる、それを警察に届けたとしても「何も変わらない」とわかっている人たち


何も変わらない、
なにも意味がない、
どうせみんな興味ない。
せめて景色が綺麗でないと、息苦しくて窒息しそうな空間。


◆原作と映画の違い


原作・・・犯人が誰なのかを意図的にわかりやすく描き、それを踏まえた人間の心境を描く。
読者が先に真実を知る「神視点」

映画・・・犯人捜しのミステリーがメインではないが、後半まで誰が犯人かはわからない。
見ている側も「同じタイミング」で真実を知る。

この違いが、原作が好きな人は映画の評価があまり高くない理由だなと思う。

でも、ここに映画版最大のポイントがある。

映画は、登場人物がそれぞれ怪演といえる演技を披露し、1時間半くらい経つと
もう見ている側は誰かに(下手すると全員に)感情移入してしまう。
原作を読んでいない人は

「せめて○○だけは殺人犯ではなかった、となってほしい・・・」

「そうじゃなきゃ、あいつがかわいそうだよ・・あいつのためにも人違いであってよ・・」

となる。俺もなった。

終盤、原作にも登場する「ある男」が取調室で刑事相手に話をはじめる。
怪しい、一見してヤバいとわかるオーラをまとっている。

「もしかしたら3人とも犯人ではなくて、こいつが真犯人なのでは?」と思えてくる。

思えてくる、というかそうあってくれという目で「その男」を見てしまう。

原作を知らず、どっぷり感情移入した客にとって希望の光。

ただ怪しいだけで、謎なだけで、3人とも殺人なんてしていなかったのかもしれない。

そう、せめてこんな世界なんだから、目の前の人が殺人犯なんてやめてくれよ。

と思ったところからの、

真犯人が本性を現していく展開が素晴らしい。
これは原作を先に読んでいては味わえない感覚。


◆映画観た人、原作読もうぜ


映画を先に見て原作を読むと
「えっ、なんでそんな露骨に誰が犯人なのかわからせちゃうの?」
という点に不満はある。

俺も読みながら「えっ、はやっ!」って口走った。
でも、「文字によって表現し、読者側の脳内に想像させる」という手法の醍醐味がある。

沖縄で起きる事件の描写、
漁港で働く親父の心境、
充実した生活に見えて巨大な空洞を心の中に持つ男。

役者が巧かろうが、脚本や演出を駆使しようが
映像で見せたら固定化しちゃうもの、映像で見せにくいもの。
原作の最大の魅力。

あと、映画版では省略せざるを得なかった
・なぜ、父親は娘を大事に思いつつどこか負い目を感じでいるのか
・東京で暮らす男はなぜ、空洞を心に抱えているのか
・沖縄に住む女の子は、(たとえ事件が起きてなかったとしても)母親をどこか冷めてみているのか
を描いてるし、

事件を追う刑事の心境、
東京で暮らす男の「理解あるからこそ空しさが増す」家族、
漁港で働く父親のいい相談相手となるいとこの過去
など、

結局メインキャスト8人以外も、全員もれなく
「信じたいけど信じられない、そんな自分が好きになれない」
を背負っていて、

映画見た後に
本当はあの2時間半に入らなかっただけでこういうことなのか。
と楽しめる。

映画を低評価する原作ファン最大のポイントはここだろうな。こんなに省略されたんじゃそりゃ微妙だわ。


でも、「犯人が誰なのかが明確になり、そいつが本性を現し、迎える結末」の描写は
映画版のほうが、個人的には好きです。


最後に。
映画もしくは原作を読んだ人にしかわからない、
”壁に書きなぐられたような”文章を書く。

映画みて、原作と違うって怒り狂ってるやつがいた、
ネットでレビュー書いて評論家気取り、ウケる。
自分の世界観が侵されるのが嫌ならわざわざ観んな