2012/01/11

モバイル・スマホサービスと身体性、ウェアラブルって話

確か去年の秋、10月くらいのことだったのですが
うちの井口さんに誘われまして。

セカイカメラの最初のデザイナーである、北村さんという方と
3人で食事をする、という機会があったんです。

で、その北村さんに「いまこんなのを作ってるんです」と見せて頂いたのが
LiveCycling / iPhone Cyclecomputer App
というもので。

これ、知らない方のために説明をすると
所謂「自転車乗り」の方のための「スマートフォンアプリ」なんです。

僕はMTBだとか最近ブームの「自転車」について全く疎いので
詳細な説明は出来ないのですが
「スピード」「ケーデンス」「ハートレート」を計測して仲間ともシェアできる。記録して過去の自分と競争したり。

要は自転車に乗っている自分自身の情報を可視化する、その為にスマートフォンが持ってる色々な機能を活用している。

このアプリの説明をされていた時、この北村さんと井口さんは凄い自転車好きなので
話が盛り上がっていて、僕は横で「ふんふん」と聞いてただけなんですが

タイトルにある【身体性】って言葉が脳裏に浮かんだ。

もっと正しいうと、この時点で僕は「身体性」なんて言葉がこの世にあるのかどうかも知らなくて、なんとなく浮かんだ言葉だった。

で、後日調べたら。どうやら「身体性」という言葉はあった。

で、ふと気になって「google検索 アプリ 身体性」で調べたら
なんか色々と触れている記事とかあった。

僕はなんであの時「身体性」なんていう、人生で一度も使った事の無い言葉が思いついたんだろう。

って、ちょっと考えたら「ああ」ってなった。

ウェブとかITと呼ばれるサービスって、元々技術によってそれまでなし得なかった限界突破することで発展した側面があるなー、と。

遠くの人と連絡が取り合えたり、家のテレビじゃなくて外なのにゲームできたり

で、ウェブサービスやITって、普段PCやスマホを使いこなしてない
一般的に「リテラシーが低い」とか「機械音痴」な人には難しい印象があるじゃないですか。

でも一方でiPadなんかはむしろ子供や老人でもすぐに使いこなす。なんて話を聞く。

人が便利になるはずのITやウェブが、使う人のリテラシーを必要とするのって、なんか変ですよね。

階段だと上るのが大変な、足腰が弱くなった老人も
エスカレーターだと簡単に上まで上れますよ、が本来の姿なんじゃ無いかと。
最近話題のウェアラブルという言葉もそういう側面があるはずと考えています。

僕の中での「身体性」という言葉の定義がまだゆるふわなので、
あんまりいい言葉が浮かばないのですが

24時間、ほぼ毎日いつでも持ち歩いて自分の手元にあるモバイルって
もっと「その持ち歩いている人自身」を
助けるというかなんと言うか、生身の体や知覚ではカバーできない領域を補うというか。

僕は自転車には乗らないんですけど、強いて言えば楽器を弾くアマチュアミュージシャンなので

別にスマホから楽器そのものの音を出したりしなくても、

もっと別のシンプルな方法で
ミュージシャンがこういうのあったら、日々音楽生活送るの楽しくなるだろうなー、ってものは出来ないかと。

例えば、もうここ数年ギターなんか弾いてないよーなんていうおじさんが
「そんなサービスがあるなら俺も押し入れから久しぶりにギター出しちゃおうかなー」とか

そんな事を思えちゃうような何かを作ってみたいかな。と思った。という話。

だってそれ、作ったら誰よりも先にまず俺が使うもん。