2011/03/05

アメリカを巡る、僕の話。(その2)

前回の投稿、アメリカを巡る、僕の話。(その1)はこちら

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2010年9月 
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8月末で7年勤めた会社の最終出社を終え、9月は丸々休暇に充てた。

1ヶ月間も休むなんて、社会人になってはじめてじゃないかな?
10月から働く事になった頓智ドットから連絡が来た。

色々と事前のやりとりをしていた人事(?)の人から
『9月の第二週、週末に1泊2日で全社員研修をやるから、もしよければ親睦も兼ねて同行しませんか?』
とお声掛けを頂いたので、行く事にした。

※実は、当時人事担当だと思っていた人物が
うちの敏腕CFOだと判ったのは、入社後なんだけど。。。

合宿当日、朝早い時間に東京駅京葉線ホームに集合。



ぼくは



がっつり遅刻したwwww


もう起きた瞬間にあきらめがつくくらいの完全なる寝坊。

たしか9時に東京駅集合で、起きたら8時55分。

どうしよう。どどど、どうしよう。

土曜の朝早く(寝坊してるけど)、
まだまだ嘘を飲み込み静かに眠っているMAD CITY((C)BOOWY)の空を見上げながら

あらかじめ聞いてあった連絡先に電話を入れ、受話器が擦れんばかりに謝ったあと
1時間遅れで外房線に乗り込み上総一ノ宮に向かった。


急いで電車に乗ったので暇を潰す道具はiPhoneくらい。
『途中、着く駅で4sqにでもチェックインするかー』とかのんびしりてたら

田舎過ぎてiPhoneが圏外になり、とりあえず死んだ魚の目で車窓から流れる景色を眺め

死んだ魚の目の僕を、活き活きとした魚が近くに泳いでいる場所まで
列車はひた走り、なんとか上総一ノ宮の合宿所に到着。

既に班分けされていて、僕は(当たり前だけど)初対面のメンバーに混ざり
チーム対抗の合宿がスタート。

誰が何をしているか、名前も全然わからないなか1日目が終わり。
ホテルの部屋も班同士の相部屋。

そこで、僕は研修中から気になっていた男と少し話した。
名前は児玉さん。

研修中から連呼していた『構想中のサービス』についての説明を聞く。
仮タイトル『domo』

科学者を父に持ち、一流の大学院で博士号を取るほどの男が
自信満々にサービスの説明をする。

人と人とのエンカウント、単純な視覚効果に留まらない
本当の現実拡張の世界。

まだまだマインドセットが古い状態でいた当時の僕には
純粋に『面白いな』と感じた程度の話だった

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2003年9月
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菊地成孔の療養で延びに延びていた、DateCoursePentagonRoyalGardenの
2ndアルバムが発売になった。


2曲目のタイトルは
structure II la structure del' Amerique medievale / 構造 II(中世アメリカの構造)
恐らくこのアルバムの中で、最も無秩序なポリリズムが交錯するカオスそのものの曲


一度もいった事がないアメリカ、SXSWへの客演で初めて上陸するはずが
自身の療養のため、それが叶わなかったアメリカ。


その3年後、2006年に発売されたDCPRGの3rdアルバムのタイトルは

一度もアメリカに行った事が無い、フランツ・カフカにとっての、アメリカ

アルバム発売当時、アメリカに初めての黒人大統領誕生か?というニュースがよく流れていた。

変わろうとするアメリカ

一度も行った事が無いアメリカを想いながら書かれた曲、リリースされたアルバム

最初から、特に海外展開なんていう仰々しいワードではなく。

淡々と、意識せずにサービスのターゲットとして捉えられたアメリカ

この年のSXSWで、リリースから僅か数ヶ月のサービスが
intaractive部門でアワードを獲得
次世代のサービスとして一気に注目を集めた

それが、twitter


2007年3月の出来事。

僕が、前職で自社媒体の販促部署から直談判して
クライアントへの直営業部隊へ、異動した頃だな

(続く)