2015/08/31

技術革新で、より自分の内側にある倫理・宗教観と向き合うことが必要、みたいな話


 僕は基本的な考え方として、「技術の革新」ってのは、生物が常に進化を希求するのと同じで、人類におけるかなり根底にある欲求なんだろうなと思っている。
 そして、それは停滞するより進んだほうが俯瞰で見たときのメリットが大きい、と思ってます。

 と同時に、このエントリーのタイトルに付けた事がずっと気になっていて、最近だと人工知能関連の話題に絡んで特に似た着眼点のものが多く、「後々の自分のためにも、一回なんか明文化しとこう」と思って書きます。


一番わかりやすいのはこのあたりかな
「悪魔を呼び出すようなもの」イーロン・マスク氏が語る人工知能の危険性 --ログミー
http://logmi.jp/69130
ホーキング博士「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/03/stephen-hawking-ai-spell-the-end-_n_6266236.html


 人工知能や技術の進歩によって、無くなる仕事の話題も多い。
週刊誌で「あなたの仕事は10年後、機械に奪われる」とか。
「もう、あのめんどくさい仕事は機械に任せてやらなくっていいんだって!いえーい!」じゃなくて、なんか悲観的なやつ。

 いまの仕事は、業務を通じて自然に「脳にコンピューターを入れて電脳化しちゃう」とか「寿命という概念を無くす(簡単にいうと不老不死)」みたいな事を大真面目に研究してる人たちがかなり多く、しかもそういう研究は全然「夢のまた夢って感じでもない」ことを知る機会が多いです。

 最近お話を伺ったり、執筆手伝ったりした
これ
http://astavision.com/contents/interview/894
とか、これ
http://wired.jp/innovationinsights/post/analytics/w/digital_halth_care/
も、腸にウェアラブルデバイスを装着することでの医療の進化とか、対面で診察しなくても治療や診察ができる話が、ごくごく自然に真面目な議論として挙った。


 僕が思うのは「大きく時代がアップデートされる時って、それまでの常識や倫理観や宗教観に対する揺さぶりが強烈で、それは人工知能によって無くなる職業の話とかよりも、大きなインパクトじゃないか」と。

 しかもそういう変化って、一度人類が経験してる気がしてる。
世界史でいうところの【中世から近代への移行期】って、ちょっと似てたんじゃないかなと。
(※僕が個人的に世界史とか日本史好きすぎるだけかもしれん)


 数100年くらい前まで、アメリカ大陸ってのは当時の最新学問でも発見されてなくて「あそこ西側にあるインドでしょ?」って信じられていて、
この世界は「天は動いてなくて、地上が動いてるんだ」って言う人が異端扱いされてた


 その後グーテンベルクが「活版印刷技術」を発明し、それまで蓄積した最新&最高峰の知識を世界中に配布することが可能になって、ボローニャに世界で初めて大学ができて、そのうち「やっぱ天じゃなくて地上が動いてるんじゃね?」ってなって、18世紀についに「産業革命」が起きる。


 数百年分の歴史を乱暴に4行で書いたけど、この間ってもう混乱しまくってた気がするんですよ。
だってそれまでの常識が「ちょっとズレてました修正します」ならまだしも
「なんか全然違いました、むしろ逆でした」とかってなってたわけで、その途中では「魔女狩り」なんてものも大真面目に行われていた。


 しかも、当時の技術とか理論ってのは、あくまで「世の中がどうなってるのかを解明する」ためのものが中心で(自然科学)、世の中にあるもの自体を変える技術ってほとんど無かった。

 20年くらい前に、クローン羊のニュースが世界で話題になった時は生命の倫理感についていろんな議論があって、遺伝子について研究する人を本気で「神を冒涜する者」と思う人もいる。

 基本的に新しくて実用的な技術を手に入れると、みんな熱狂すると思うんです。
いわゆる「大航海時代」みたいな何かフレーズがついて、次はこっちだ、行かないやつは置いてかれるぞ、我先に新しい領域へさあ行こうって。


 でも、新しいものや理論が世の中に出る時って
【新しいものは、常に、古い言葉で表現される】じゃないですか。

 馬力(ばりき)って言葉は超わかりやすくて、
蒸気機関がこの世に誕生した時、そのパワーを表すのに「荷を引く馬が発するパワー」で表現してる。
馬の動力に取って代わるものを馬の動力で説明する。そうしないと、伝わらなかった。


 たぶん言葉だけじゃない、言語化できないレベルでの
「違和感がある、なんか嫌だな」
「とてつもない可能性を感じる、これが新しい真理だ」
「これって、なぜかわからないけど、触れてはいけないものな気がする」

という感覚って、古いもの(それまでその人が培った社会通念とか、本人も認識してなかった自分の内側にある宗教観、親や身近な周囲を観察することで自然に根に付いた倫理観)で、どう捉えるかが変わる。

その時、そういう内側にある何か、との対話が大事で
それが出来ないと周囲の情報に振り回される。


このブログ読んでる人、たとえばどうすか?
3年後、5年後ってことはないだろうけど、自分がいまより年老いて、体の具合もいろいろしんどくなった頃

・新しい技術で、平均寿命が180歳になったって!よかったねまだまだ生きられるよ!

・高校生の息子(娘)が、生身の人間ではなく人工知能を好きになってしまった。

・「よかったわね、(あなたの)今回の病気は体の内部を80%人工機器に移管すれば、治るって」

・いま食べてるレタス、あなたが子供の頃に食べてたレタスとは、元の物質が違うらしいよ。ああでも心配しないで、効能とか味とか体への影響は、全く一緒だから。

・孫が新卒で就職する会社、業界のリーディングカンパニーで、社長と直属の上司はロボットなんですって。


って。普通に日常で起こる感じ。

時代が大きく動く時って、ちょっと一瞬でいろいろ判断つけたり感想持ちづらいこといっぱい起きるし、それの繰り返しを人類の歴史と呼ぶところもあって。

その時代に何を思って、身近な人に何を伝えて、どう関わるかって、ただただ「わくわくします」では片付けられないことがあるなあ。と


色々ひっくるめて面白くて大変な時代だなと
(とりとめないけど、これで終わり)