2015/08/31

技術革新で、より自分の内側にある倫理・宗教観と向き合うことが必要、みたいな話


 僕は基本的な考え方として、「技術の革新」ってのは、生物が常に進化を希求するのと同じで、人類におけるかなり根底にある欲求なんだろうなと思っている。
 そして、それは停滞するより進んだほうが俯瞰で見たときのメリットが大きい、と思ってます。

 と同時に、このエントリーのタイトルに付けた事がずっと気になっていて、最近だと人工知能関連の話題に絡んで特に似た着眼点のものが多く、「後々の自分のためにも、一回なんか明文化しとこう」と思って書きます。


一番わかりやすいのはこのあたりかな
「悪魔を呼び出すようなもの」イーロン・マスク氏が語る人工知能の危険性 --ログミー
http://logmi.jp/69130
ホーキング博士「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/03/stephen-hawking-ai-spell-the-end-_n_6266236.html


 人工知能や技術の進歩によって、無くなる仕事の話題も多い。
週刊誌で「あなたの仕事は10年後、機械に奪われる」とか。
「もう、あのめんどくさい仕事は機械に任せてやらなくっていいんだって!いえーい!」じゃなくて、なんか悲観的なやつ。

 いまの仕事は、業務を通じて自然に「脳にコンピューターを入れて電脳化しちゃう」とか「寿命という概念を無くす(簡単にいうと不老不死)」みたいな事を大真面目に研究してる人たちがかなり多く、しかもそういう研究は全然「夢のまた夢って感じでもない」ことを知る機会が多いです。

 最近お話を伺ったり、執筆手伝ったりした
これ
http://astavision.com/contents/interview/894
とか、これ
http://wired.jp/innovationinsights/post/analytics/w/digital_halth_care/
も、腸にウェアラブルデバイスを装着することでの医療の進化とか、対面で診察しなくても治療や診察ができる話が、ごくごく自然に真面目な議論として挙った。


 僕が思うのは「大きく時代がアップデートされる時って、それまでの常識や倫理観や宗教観に対する揺さぶりが強烈で、それは人工知能によって無くなる職業の話とかよりも、大きなインパクトじゃないか」と。

 しかもそういう変化って、一度人類が経験してる気がしてる。
世界史でいうところの【中世から近代への移行期】って、ちょっと似てたんじゃないかなと。
(※僕が個人的に世界史とか日本史好きすぎるだけかもしれん)


 数100年くらい前まで、アメリカ大陸ってのは当時の最新学問でも発見されてなくて「あそこ西側にあるインドでしょ?」って信じられていて、
この世界は「天は動いてなくて、地上が動いてるんだ」って言う人が異端扱いされてた


 その後グーテンベルクが「活版印刷技術」を発明し、それまで蓄積した最新&最高峰の知識を世界中に配布することが可能になって、ボローニャに世界で初めて大学ができて、そのうち「やっぱ天じゃなくて地上が動いてるんじゃね?」ってなって、18世紀についに「産業革命」が起きる。


 数百年分の歴史を乱暴に4行で書いたけど、この間ってもう混乱しまくってた気がするんですよ。
だってそれまでの常識が「ちょっとズレてました修正します」ならまだしも
「なんか全然違いました、むしろ逆でした」とかってなってたわけで、その途中では「魔女狩り」なんてものも大真面目に行われていた。


 しかも、当時の技術とか理論ってのは、あくまで「世の中がどうなってるのかを解明する」ためのものが中心で(自然科学)、世の中にあるもの自体を変える技術ってほとんど無かった。

 20年くらい前に、クローン羊のニュースが世界で話題になった時は生命の倫理感についていろんな議論があって、遺伝子について研究する人を本気で「神を冒涜する者」と思う人もいる。

 基本的に新しくて実用的な技術を手に入れると、みんな熱狂すると思うんです。
いわゆる「大航海時代」みたいな何かフレーズがついて、次はこっちだ、行かないやつは置いてかれるぞ、我先に新しい領域へさあ行こうって。


 でも、新しいものや理論が世の中に出る時って
【新しいものは、常に、古い言葉で表現される】じゃないですか。

 馬力(ばりき)って言葉は超わかりやすくて、
蒸気機関がこの世に誕生した時、そのパワーを表すのに「荷を引く馬が発するパワー」で表現してる。
馬の動力に取って代わるものを馬の動力で説明する。そうしないと、伝わらなかった。


 たぶん言葉だけじゃない、言語化できないレベルでの
「違和感がある、なんか嫌だな」
「とてつもない可能性を感じる、これが新しい真理だ」
「これって、なぜかわからないけど、触れてはいけないものな気がする」

という感覚って、古いもの(それまでその人が培った社会通念とか、本人も認識してなかった自分の内側にある宗教観、親や身近な周囲を観察することで自然に根に付いた倫理観)で、どう捉えるかが変わる。

その時、そういう内側にある何か、との対話が大事で
それが出来ないと周囲の情報に振り回される。


このブログ読んでる人、たとえばどうすか?
3年後、5年後ってことはないだろうけど、自分がいまより年老いて、体の具合もいろいろしんどくなった頃

・新しい技術で、平均寿命が180歳になったって!よかったねまだまだ生きられるよ!

・高校生の息子(娘)が、生身の人間ではなく人工知能を好きになってしまった。

・「よかったわね、(あなたの)今回の病気は体の内部を80%人工機器に移管すれば、治るって」

・いま食べてるレタス、あなたが子供の頃に食べてたレタスとは、元の物質が違うらしいよ。ああでも心配しないで、効能とか味とか体への影響は、全く一緒だから。

・孫が新卒で就職する会社、業界のリーディングカンパニーで、社長と直属の上司はロボットなんですって。


って。普通に日常で起こる感じ。

時代が大きく動く時って、ちょっと一瞬でいろいろ判断つけたり感想持ちづらいこといっぱい起きるし、それの繰り返しを人類の歴史と呼ぶところもあって。

その時代に何を思って、身近な人に何を伝えて、どう関わるかって、ただただ「わくわくします」では片付けられないことがあるなあ。と


色々ひっくるめて面白くて大変な時代だなと
(とりとめないけど、これで終わり)

2015/07/30

寄稿した時のウラ話と、境界線上が大事って話

先日、色々と縁があって「Wired.jp」の中にある「INNOVATION INSIGHT」というコーナーに「ビッグデータとIoTの時代に「デジタルヘルスケア」はどう変わるか」という文章を寄稿しました。
※メインの執筆は川口が担当して、僕は執筆協力っていうポジションですが。

このエントリーは、その時の裏話を職場でしていたら「面白いですねー」って言われたんで、ああ面白いのか。じゃあブログにでも書いてみるかって話です。
あと、あの文章通じて何を届けようとしたのかっていう話を少し。

■寄稿のきっかけ
先日、仕事絡みでWired日本版の若林編集長にインタビューさせていただく機会がありまして(その時の内容はこちら
半年ぶりにお会いして、インタビューが始まる前に「そういえばいまどんなことしてるの?」って聞かれて、事業内容を説明したら「へーそういう知見持った人が分析してるんだね、面白いね、INNOVATION INSIGHTってコーナーあるんだけど寄稿しない?」って声を掛けられました。

去年、日本経済新聞にワールドカップ直前だったということで「一流サッカー選手のスパイクに秘められた最新技術」というのを寄稿してたんで、似た感じの座組みでできるかなーと引き受けました。


■なんで執筆テーマを「デジタルヘルスケア」にしたのか
「このテーマで書いてください!」みたいな指定が無く、書きたいテーマをこちらで決めていい。って事になり川口と「何にしますかねえ」って軽く打ち合わせしました。

最初は色々と候補があったんです。
「未来の都市がどうなるか」とか
「モビリティ技術の進歩の先にある”移動”という概念の変化」とか
「人口100億人時代の食糧はどうなる」とか。

ただ、15分くらい打ち合わせした時「ヘルスケア」が一番盛り上がったというか、話題がとりとめなく広がったんです。

センシング技術、VR、遠隔とかテレマティクス、ビッグデータの活用、ああこれいくらでも話せちゃうねって。

領域横断的で「これからのイノベーション」にピッタリだし、寄稿依頼を受けた時点で他の人が似たテーマを書いてなかったし、
何より、老若男女問わず健康や寿命って身近なテーマだから、読む人に興味を持ってるもらえるかなーと。


■短編小説を頼むと、毎回大河ドラマの脚本みたいなのを書いてくる
メインで執筆した川口は、僕よりはるか年上で、バイオと薬学の博士号を持ち、今もハーバード大学の研究チームと仕事してたり、過去に論文とか出版物への執筆実績もたくさんあって。

だからこそ、仕事においては心強いんですが、毎回大変であると同時に面白いのが
「笑っちゃうくらい完璧に仕上げてくる」んです。

最初に「できたよ」ってもらった原稿、文字数8,600文字。
しかも、中身は完全に論文口調。
記述内容に対する出典とか論理展開とかも完璧。

いやWIREDですよ川口さん、Nature(ネイチャー)じゃないっすよって言いそうになった。
文章の出だしが「厚生労働省は、2014年に~」で、あれ?俺いまウェブメディアの原稿書こうとしてるんだよな?NHKスペシャルじゃ無えよな?みたいな気分になった。


、、、んー。
そりゃ、「文字数は2000文字以上なら上限ないですよ」って言われたけどなー
なんだろうこれ、「曲作ってよ」「うん、じゃあ来週デモテープ持ってくるわ」
つって、次の週「コーネリアスの”FANTASMA”」がCDで届いた感じというか


■本当は書かれるはずだったけど、あえて外した「2つの話」
で、ここからが僕の出番。
その8000文字超えの論文をひたすら分解して、砕いて、キャッチーな言葉に置き換えて、興味が持てそうな文章を考えてそれを手前に丸々くっつけて
(※出だしの”近い将来〜(中略)の未来を予測したものです。の辺り)

もうこれリミックスじゃん。

で、とりあえず出来たかなーって送ってみたところ、
編集さんから「こことここ、専門的すぎるから言い換えてor削っていいですか?」って30箇所くらい赤入れされて。
※こういうやりとりして毎回思うのは、編集って大変だし凄い仕事だなと思う。今回も相当助けられたというか、編集して頂いた方の尽力無くしてあの仕上がりは無かったです。

まあそうよね、そりゃ指摘するよね。というか本当にごめんなさいって気分で再修正。


で、完成したのがあの文章なんですが
実は、最初のバージョンには含めてたけど、最終的に外した2つの話題があって
そこは「読む人に一番届けたかった部分」なんです。


1)色々と技術革新が進んでるって言ってもさ、実用化されるの?制度とか規制とかあって結局ちゃんと私たちに提供されるものなの?

2)体の中に技術が入ってくるのって、なんか不思議な気分。現在の倫理観とか宗教観からみて、ちょっと抵抗あるような話もあるんじゃない?なんか怖くない?


上記2つの話題、初稿段階ではちゃんと触れられているパートがあったんですが
編集さん側とのやりとりもあって、最終的に外す判断をしました。


問いが先に欲しいなって。

「ちゃんと書かれてる」ってことは「現時点での答え」を詳しい人が提供しちゃってるなって。

僕はヘルスケアについて特別造詣が深い人ではないです。
というか持ってる知識は普通の人とたぶんそんなに変わらない。
だから上記2つの疑問というか疑念?が浮かぶ。

じゃあ、読む人にもそれでいいやっていう判断。


公開後、NewsPicksに取り上げられて結構幅広い人がコメントしていて
ああ、問いを持ってくれた人がちゃんと居てくれたーよかったーと思いました。

すごく専門的知識を持った人も、あんまりよくわかんないけど気になるから言及した、みたいな人も両方いたことが嬉しかった。その両側に届かなかったら俺いる意味無いしなーと。


■「詳しいやつ」が知ってる話を「知らないやつ」に届ける事がしたい
最近、薄々感じていることがあって

多様性とか領域横断が大事な時代になってくると
「両方に出入りしてる奴」「ちょうど境界線上に立っている奴」って重要になってくるんじゃないかなと。
寄稿のきっかけとなった若林さんのインタビューにも出てくる話(ファッション×IT)です。

何より「そういうポジションが心底楽しい」と感じる人がそれやるべきなのかなーと。
これは普段担当している事業の設計とか方針にも、なるべく入るように気をつけてる要素です
(まだ至らない部分の方が大きいけど)

■もっとそういう人が増えるべき、とけっこう真剣に思ってる。
誰でもできることだと思うんです。

専門的知識をフル稼働させて、8000文字を超える論文書くのは、今から「楽しいし必要だからやりなよ」って言われても万人にできることじゃない。

仮に今から始めても、その道10年20年でやってる専門家と比較して「自分がやる意味」って見出しにくい気がする。


でも、高卒で、売れないミュージシャン崩れで、20代後半になってやっとバイト先の延長線上で社会人になれたような人でも、
バリバリのアカデミック領域で生きてきた人の知識を、「この部分わかりづれえから、もっとキャッチーにしたほうが広く届く気がする」って翻訳することはできる。

「よく知らないこと」や
「よく知らないけど、凄く興味はあるんです!」が
最大の武器になる。


領域が横断するってことは「横断を促す存在」が必要で、ネットワークを「dot(ドット)」と「nord(ノード)」に分類すると、点も大事だけど繋ぐ線も同じくらい大事だよ、という。
※すげえハイレベルな人になるとどっちの役割も果たす、みたいな人いるけどね



ここ最近「波多野さん、何か難しいことやってますねー」って言われることがたまにあって
そのたびに「うわーくそーちくしょー」と心の中で思ってて

「波多野さん、(何だかよくわからないけど)何か楽しそうなことやってますねー(自分もやりたいなー)」って言われるほうがいい。
たぶんそしたら俺、「え?興味ある?やろうやろう」って言うと思うし。


、、、、、あれ。なんの話書こうとして書いたんだっけこの文章。


あ、途中に出てきた「技術の進歩の先にある倫理や宗教観とのせめぎ合い」については後日別エントリー書きます。

◯8月31日追記◯
上記の、「後日別エントリー書きます」の件を書きました。こちらからどうぞ↓

技術革新で、より自分の内側にある倫理・宗教観と向き合うことが必要、みたいな話

2015/07/01

イノベーションとか、投資の動向とか、ぼーっと考えたダダ漏れメモ

昼飯たべた直後でぼーっとしてるのだが脳内で思考が止まらなくなったので、後日考えを整理するためにメモエントリーを書いとく。


たんなる走り書きメモなんで、出典とか参考リンクはあとから追記します(たぶん)



今日、たまたまリバネスのアクセラレータープログラムのリリースと、crewwが2.7億円の出資を受けたってニュースが出ていて、たぶんそれが思考のスタート地点。

僕はいまいる会社、今取り組んでいる事業の兼ね合いで、やたらと先端研究とか、投資がどこに向かおうとしてるのかとか、大企業が次の5年で何をやろうとしているのか(もしくは、どれだけ”やろうとしていることが見つかっていないのか”)みたいな情報について詳しくなっている。

あと、有難いことに最近は「波多野さんが何に取り組んでるか何となくわかったぞ」という人も増えてきたので「ちょっと一緒に話しましょう」と声をかけてくれる人も多くなった、ありがたい。

んでいろんな人と未来あるべき形とそこに向けて明日どう踊る?みたいな話をたくさんしてるのだが

ふと思うんだよな、前述のcrewwもリバネスも、あとうちもだけど、たぶんこの3者だけじゃなくてイノベーションを支援する文脈にかなり親和性高く繋がっている企業とか団体(官公庁とか国家もそうだし、グーグルやフェイスブックとあもだな)は総じてだと思うのだけど、なんかこう、身近なところからやっていこうという意識が強すぎないかなという感じがある(自分達に置き換えると、反省点というか)

日本で言うと、近年は大企業がCVC設立活発だったり、ファンドだアクセラレータプログラムだハッカソンだってのも活発なんで、別にそれでもいいと思うのも確か。
ちょっと前のブログに書いたけど、そもそも国からの科研費なんざ1企業が本気で研究開発に投資する金額にも満たないわけで(5,000億円>2000億円)、もっとばんばん企業は大学や研究機関と繋がったり青田買いしなきゃ!とか思っていいよな、グーグルにシャフトが買われた時のエピソードが一時期バズったけど、あんなふうに「日本のファンドや国は全然見向きもしなかった、海外のほうが価値を分かってくれる奴がいた、もうみんな海外出ようぜ、日本ダメだよ」の論調がでるよか100倍マシだ。

優れた研究者は海外出たほうがいいってとこは完全同意だけど。海外っていうか「優れてるなら行きたいとこに行けばいい、あなたは自由だし権利がある」みたいな。


これは普段から公言してるし、オフィスでも再三確認をしてるけど別に俺「日本を元気にしたくてやっている」という気持ちは1ミリもないんだよな。
ただ、日本だけえこひいきしないのと同時に日本を見捨ててもいない。インドもアメリカも日本も、みんなフラットに自由競争で買いたい会社を買えばいい、雇いたい優秀なやつを雇えばいい、使いたい技術を(権利問題はしっかりとやるとして)使えばいい。結果的に未来が訪れるスピードと数が多くなって、それに関わる「ヤバいやつ(超優秀)」が増えればいい、と思って僕はいまアレに取り組んでます。


そうなるとさー、10行くらい手前に戻るんだけど、やっぱ身近なところからやり過ぎだと思うんだ。って反省点が浮き彫りに。
たしかに企業はCVC作ったり新規事業チーム作ってって動きが活発で、お陰で僕らも相当ビジネスやりやすく伸ばしやすくなっている。これは2年前とは劇的に変わった、中の人達に聞いたこと無いけどたぶんcrewwとかリバネスもそうだろうな。イノベーションって言葉がこんなにバズワード化すんのもすごい話だし。でも、国内を向いてるんだよな。国内の有望ベンチャー知りたいとか、国内の大学でいい人達を発掘したいとか。

そこが、うーーーーーん。。。。。となるところ。

もちろん、距離的に近いことでコラボレーションを生みやすくしている事はあると思う。
「場の重要性」はあると思うよ、でも本当に「あるべきところにあるべきものが辿り着き、その結果イノベーションが起こり、時代が前進する」のに本当に場は最重要なんかな。シャフトの人達はグーグルとのつてはなかったし、目線を広く持たないと行動範囲が狭くなって結果的にイノベーションから遠ざかる感があるんだよな。

日本の現状のリソースって、技術の蓄積、民族的背景があるのか「人の勤勉さ」、教育水準がベースで高いところ、持ってる企業は金を持っている点、逆にエコシステムとか行政とかイノベーションが自然に起こるための法整備や税金とかの面はあんましダメ。

日本のいけてるベンチャーキャピタルがいまどこを向いてるかっつったら、海外じゃん。
東南アジアもそうだし、日本企業に投資する上でも国境越えて勝負できるものか、もしくは海外で勝てそうな人達への投資。

ってことは、本来であれば俺らとかcrewwとかリバネスみたいな会社は、もっとそういう投資の集まる場所にいって、支援することで(crewwならスタートアップ支援、リバネスなら日本の研究者の活躍の場、うちなら技術分析とかで)イノベーションも起きやすくなるし、たぶんリターンも得られると思うんだけど、そこがあんまり出来てない。

なんでかっていう理由もうすうすわかってる、投資対効果を「いつ」得られるか、が投資家の人達とどうしても揃えにくいんだよな。単純に言うと「既存事業がめちゃ儲かってるから長期目線の事業やろう」に完全になっていない点もあるだろうし。


僕がいまぼんやり思ってる日本発でのいい動き方ってのは、日本から金を集め(事業収益だろうがファンドだろうがなんでもいい)→それを海外に展開して外貨を獲得する(事業の海外展開でもいいし、投資によるキャピタルゲインでもいいし、企業をM&Aしてもらう、でもなんでもいい)→獲得した外貨を次世代に使う、ここを国にやらせず民間主導にする。だから教育系サービス大事だし教育機関(大学)が大事→イケてる奴が出てきたらどんどん海外に出るためのリソースとして活用、んで最初に戻る、1周目と2周目では金だけで勝負じゃなくて「世界一勤勉で多民族から理解不能なくらい細部に拘るヤバい人的リソース」をプラスαにしてる感じ


ただなあ、東南アジアが今後イノベーションの主役で他は用無しです、とまではいかないけど、必ず日本の企業の投資から生まれるわけでもないし、グーグルとフェイスブックやシリコンバレーの連中だけってわけでもないし、結局どれも「手法の1つ」に過ぎないので、なんか身近なところから感が強くなってることにちょっと危機感を抱いてます、っていうそういう脳内垂れ流し文章でした。


ほんとうに何も考えずにかいたけど多分「書いちゃいけないこと」は自然と避けてることはできてると思う。


これあとから自分で読み返したらどう思うのかなあ

2015/06/29

ルイス・フォン・アーンのCAPTCHAプロジェクトと、クラウドソーシングの本当の可能性


ルイスフォンアーンのCAPTCHAプロジェクトの話って、あまり知られてないのかな。


この間、打ち合わせしてた時に話の流れでCAPTCHAの話をしたんだけど「へえー」って感心されて、それがちょっと意外だった(はいはい、何か聞いたことありますー的なリアクションを想像してた)のと、あのプロジェクトの「仕組みの美しさ」を自分用の備忘録として書きます。


◆CAPTCHAってなに?
ここで詳細を書くよりも、wikipediaのページを読んだほうがわかりやすいし詳しいのでこちらを。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/CAPTCHA


アレです、ネット上で何かの登録するために申込フォームに入力してると、一番最後に文字が「ぐにゃーっ」と曲がったのが出てきて、この文字を入力して下さい。ってでるやつ。


それを打ち込む事で「私はロボットでできたスパムでは無いですよ」って事を認証するあの仕組みです。

これを作ったのが、当時カーネギーメロン大学にいたルイス・フォン・アーン達なんですけど、あれって

<課題>
・ネット上のスパム行為(ロボットで巡回して自動でメール送ったり)をどうにかしたいなー

<解決アプローチ>
・ロボットじゃ無理だけど生身の人間なら誰でもできるプロセスって何かないかな
・勿論、その場で完結できる方法(ハガキを送って返送、とかじゃダメ×)
・仕組みがバレても易々とプログラムで突破されて無力化しないもの

となって、
<この時点での結論>
・人ってちょっと汚く書かれた文字を画像で出されて「これって何て読む?」って聞かれても楽勝で読めるよね。だけどプログラムだと無理だよね。よしこの方法でいこう。

\         /
「CAPTCHA誕生」
/         \


んで、この仕組みは一般的に普及したんだけど、多分大半の人がこの仕組みを見た時「手続き上必要なのはわかるけどさあ、入力めんどくせえなあ、文字も読みづらいし」って思った気がすんの。


俺は思った。たまに読みづらすぎて入力ミスるし。


実は同じ事をルイス・フォン・アーンも思っていた、というかこの仕組みのせいで
「画像の文字読んで入力するっていう”新しい手間”をこの世に産んじゃったなー」と思ったらしい。


◆「手続き上しょうがない手間」じゃなくて「活用するリソースにしちゃおうぜ」

彼は、この「ちょっと崩れた文字でもだいたい読める」という当たり前の事象を「なにかに活かせないかな」と考えた。
当たり前の事象を凄いやつが捉えると、世の中にある課題にとって「とても素晴らしい解き方」になる。


<解決アプローチ>
・入力フォームに生身の人が文字を入力するたびに「この読みづらい文字はこう読むんだよ」のデータが収集できる

<世の中にある課題>
・なんか、読みづらい文字だけどその読み方がわかると世の中にとって「いいもの」ってなんかあるっけ

・あ、世界中の図書館にさ、電子データにして後年に残すべき文献って腐るほどあるよね

・でもさー全部をアルバイトさん雇ってデータ入力の仕事にしたら、膨大な時間がかかるしお金もかかるよねえ



「(あっ!)ピコーーン!」


◆古い文献を画像データにして、それを「この文字何て読む?」って世界中の登録フォームに入力してもらったら、有効な電子データがどんどん生成されるじゃん!

これが、後にグーグルに売却された「ReCAPCHA」の仕組みです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ReCAPTCHA


実際、ReCAPCHAはニューヨークタイムズの膨大な記事アーカイブのうち20年分を約3ヶ月間くらいで電子データにしちゃったらしい。
でも僕はこのプロジェクトの本質は「電子データを生成する速さ」じゃない別のところにあると思う。


◆ルイスフォンアーンはクラウドソーシングの天才
ルイスフォンアーンは今はDUOLINGOという語学のスタートアップを起業していて、
この間もWIREDに取材が掲載されていた
その時のタイトルが、クラウドソーシングの天才・ルイスフォンアーンというもの。


そうなんだよな、このプロジェクトの凄いところは「発注されてもいないのに、参画している意識も本人たちには無い、それなのに世界中の人がプロジェクトに参加して目標の達成に向けて動いているところ」なんだよな。



いきなりバカっぽい例え話になるんだけど、このブログ読んでるみなさんって人生で一度くらいは「このいま漕いでいる自転車のペダルがなんかのエネルギーにならないかなー」とか
「やべえ、ノートパソコンの充電切れちゃう。このタイピングの打撃エネルギーでバッテリーがちょっと長持ちになったりしないのか!?しないよな」
みたいな

日常のなんでもない作業が、もっと何かに活用する仕組みにならないかな、みたいなこと考えたことないですか?

僕はいつもそればっかり考えてる。(いつも、は言いすぎだけど)


世の中、クラウドの仕組みとかシェア文化とかで色々実現できることも多くなったし、技術の発展も目覚ましいんだけど、なんだろう個人的に釈然としないのが

・クラウドソーシングもクラウドファンディングも、結局ギブ&テイクの間口が拡大した話で本当に「一体どこから?!」みたいな仕組みじゃないよなーとか

・周囲の共感を得て協力者を募ったり、ユーザー自身がコミュニティを運営する的なサービスも、「長くいるとそいつが居場所を主張し始めて、サービス側にとって悩みのタネになる」とか

・「これだけ素晴らしい活動がある!広めよう!参加しよう!」みたいなのって、結局誰かのリソースの犠牲があって、その上に成り立ったりしてるだけだな

とか、なんかそういうことを人からいろんな話を聞くたびにモヤモヤすることがある。

ギブ&テイクが明確すぎるものって、お互いの信頼関係でなあなあでやるか、ガッチガチに契約でやるか、まずは共感とかマインドとかありきで盛り上がる時はいいんだけど、継続性に欠けるものだったりする。


CAPTCHAに文字を入力したことのある人ってさ、自分が入力した文字がどの古い文献のどの部分の電子データになるのに活かされたのかとか、たぶん知らないし興味ないじゃん。

「えっ!そんな事に使われてたの?だったら入力した俺にもなんか報酬よこせ!」ってならないじゃん。
(言うやついるかもしれないけど、少数派だよな)


自分がいま関わってつくろうとしているプロジェクトとかも、もちろんクラウドソーシングで仕事してもらってるし、「共感頂いて協力してくれる人達」のありがたさとか、素晴らしい活動だって言ってくれて俺がいないとこでも広めてくれる人いて、それは本当に感謝してるのですが


なんか、こういう仕組みでやるべきだと思うのだよな。
悩みがあって、それを解決する人が解決して、はいリターン(報酬)です。じゃなくて


課題を解決するってことは、大体別の課題を生み出している。
それを課題だとか「しょうがないよね」ってするんじゃなくて、「あれに活かせちゃうじゃん」って別のものに繋げる。

ブログにまとめながら、こういうことを考えて色々取り組もうと思った次第。

2015/05/17

科研費とか企業の研究開発費について、気になったことを聞いたらITの歴史とかの話になって面白かった

僕はいわゆるアカデミア(学術・研究の世界)出身ではない。

ただ、いまは仕事柄企業や国がどれだけ投資をしたかとか、研究をしているだとか、どんな成果が出たかみたいなことについて自然と情報が入ってくるので

自然とアカデミアとは何なのか、アカデミアが果たす役割とは、刷新されるとしたらどういう姿であるべきか、みたいなことを考えるようになった。

以前一緒に働いてた児玉さんは、親父さんも含めてバリッバリのアカデミア出身でたまにご飯を食べると色々おもしろい話が聞けるので感謝している。
なんとなく、彼も僕のことを面白がってくれているフシがある。


で、こないだ見かけたニュースで「ふーんそうなのかー」と思いつつ浮かんだ素朴な疑問を
児玉さんにfacebookチャットで聞いてみたら

「なんかこれ、俺だけが聞いてるの勿体無い話だなー」と感じたので
本人に許可取ってブログにアップしました。


<以下、チャットのやりとり>

--------------------------------------------
-- お疲れ様っすー。ちょっと児玉さんがどう思ってるか聞いてみたいなって話があるんすけど
日立が研究開発費を年5,000億円にするっていうニュースがあったじゃないですか。

日立、研究費に年5000億円 人工知能やロボット向け 16~18年度3割増
日本経済新聞 電子版
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ07HZ5_X00C15A5MM8000/

はいはい、ありましたね。

-- このニュースに限らないし、今に始まったことじゃないけど、日本で研究開発に大きく投資してる企業って大体年間3,000億円とか4,000億円って規模の予算で
一方で文科省の科研費ってのは、直近でも年間2,000億円台じゃないですか。

※参考リンク
科学研究費助成事業-科研費-をめぐる最近の状況等について(PDF)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/09/12/1351769_01_1.pdf

そうですね。

-- 日本に限らず、「国からつく予算」よりも「1民間企業の研究予算」のほうが大きいという事実を
アカデミアの人というか以前の児玉さんも含め、科研費によって研究できている・科研費を取るために動いている人たちはどう受け止めてるもんなんですか?

なるほど。僕は自分の体験含め日本の研究者の感覚しかわからないですけど、まず大学や行政法人の研究者なんかは企業の研究と科研費などでやる研究を全く別のものだと捉えていると思いますよ。

企業の研究というものは営利活動に繋がるもので、科研費で行う研究はもっと公共的なもの・そしてそれがより「高尚」なものだと思っています。
ただ、当時の僕自身を含め、企業からの研究費を重視する研究者はいましたけど。

それでもアカデミアの研究者のゴールは、産業に応用するというよりは、論文を書いて学会に貢献することなんです。
このあたり、企業と研究者のゴールがずれてしまうことなどもよくあります。

企業に所属する研究者は、今後論文や特許数なども業績ベンチマークになりますからそういう活動もがんばるんですが、やはり事業貢献するという前提はありますね。

-- ほうほう、いまの話で素朴な疑問なんですが、「科研費などの研究は、公共的であり、そして高尚なものだ」という思いって
のちのち民間企業に勤めたりする中で、やはり正しい定義だなーって思います?それともなんか言い方変になっちゃうけど大学を通じて植え付けられてしまう「変な意識」だったなーとか思います?

僕が思っていたのは、理学部とかの基礎研究は、「高尚な研究」「ためにする研究」でいいと思うんですよね。

-- なるほど

ただ、例えばユーザーインターフェースだとか、工学系の応用だとか、そういうのは基礎研究じゃなくて応用研究ですよね。
実用的なものに繋がらなければいけないもの。

応用研究で、論文書くためのためにする研究の結果として、実用性の無いものや役に立たないシステムが量産されてる、ってのは否定出来ないと思うんです。
本当に実用性を追求する、という目標からの逃げというか。

-- んー。それは科研費みたいな予算が、基礎研究的なものに投じられるのは営利目的の企業には出来ない領域だから大事、
だけど実用性・応用研究的なものに科研費が投じられるのはどうなのか?みたいなことも含んでます?

いやいや、科研費が投じられるのが正しいのかどうかってのはまた全然別の問題だと思ってます。
応用研究でも実用性や営利にとらわれない、自由な研究があってしかるべき。と思いますし
一企業に根ざさない、公共のものにも実用的であることは求められるじゃないですか

-- たしかに

ただ、その結果として結局は「市場の中で揉まれないと、市場で勝てるものはできないな」という当たり前の結論には至ってます。
市場で勝つっていうのは、要は世の中の人が「実用的だ」「欲しい」って選ばれること。ここに至らないとやっぱり良い結果が出たとは言い難いのかなって。
それはいま自分がどういう仕事をするか?の背景に大きく影響与えてます。

-- なるほど。ちなみにさっき企業の研究は営利活動って話があって、それは当然なんですけど
一方で、世界的な大企業、アップルとかグーグルとかGEとか、、、、ってもちろん根底には営利目的ってのがあるけど、
もはや目線が公共的というか、自分たちで実現できるものの規模感がちょっとした国家レベルにあるじゃないですか

そうですね、そうです。

-- そうなるとね、素人考えですけど必ず国から予算が下りるという仕組みのアカデミアではなくて、
もう少し民間主導アカデミア、みたいなものがガツンと大きな規模であってもいいのかな、とか考えたのです。
もう基礎研究もがんがんやるよっていう。

ほう

-- 超アホみたいなたとえ話しますけど、グーグルが本気で月に人を住まわす世界をビジョンとして掲げました。月にどうやったら人が住めるかについては基礎研究だろうがなんだろうがグーグルが研究費と施設まかないます!とか言っても「すごいな」と思うけど別におかしくはないよねーと。

あー、その話に関係しそうなんですけど、今わけあってITの歴史について結構深く調査をしてるんです。

でね、改めてIT技術の開発の歴史というものを紐解くと、技術開発を担ったのはSRI(Stanford Research Institute)とか、PARC(Palo Alto Research Center Incorporated)とか民間研究機関なんです。

ただし、お金の出所はARPA(※高等研究計画局、DARPAの前身)。
この時点じゃ基礎研究フェーズなわけですよ。

そして後年実用化した段階ではやっぱりAppleとかGoogleとか、純粋な営利企業がそれを担っている。

アメリカの場合には、軍事予算が、わりとフリーハンドでチャレンジングなテーマに使える大きな資金を提供する、それの受け皿になるのが、SRIやPARCやベル研みたいな民間研究機関。
インターネットとかUNIXとかGUIとかオブジェクト指向とか、今日も世界中で使われる本当の応用技術が生まれるのはこういうところだなと。

で、そこで生まれた知的財産を事業化すると、はいAppleやGoogleのような巨大ビジネスが完成です。と。
こういう流れ。

-- はい、すごいわかります。

僕がいまやってる事業も、規模は小さいけどSRI/PARCみたいな感じとして位置づけてて
応用研究に予算をつけて、受託する、実用化の細かいところは事業会社に委ねる。

もちろん本当のSRI/PARCをやるためにはもっと資本がいるんですけど
その部分がないなーと思ってやってます。その領域のちゃんとした担い手が国内に必要だ、って。

-- そういうことって、他に考えてる人たちっていると思います?

国内で一番近いのは、理研じゃないですかね。
藤井先生がVRの実用化に取り組んだりとか

-- さっきね、アメリカだとフリーハンドで長期的な大型予算がつける土壌がある話してましたけど。日本ってそうじゃないじゃないですか。
そういう土壌が出来てない理由ってどう思ってます?軍事予算の話もあるだろうし、他に国民性とか文化的な背景とか、過去の成功モデルとか、いろいろあるでしょうけど。

まず当然ながら、軍事予算が大っぴらにつけにくいってのがありますよね。
軍事予算は、大きな予算をつける言い訳が立ちやすいですから。

-- 国としての存亡を賭けた本気の投資理由(軍事)ってことか

ですです、次に財政面の危機ですかね。
3つ目に、これはITに関連するところですけど80年代の第五世代コンピュータープロジェクトが大コケして大規模な国家プロジェクトへの批判が高まったとか。
まあこの辺りが背景なんじゃないかな。

-- それって、なんか日本がダメって話だけじゃなくてアメリカが凄すぎるよ、みたいな話に感じる。

それはそうです、あれだけの戦略的投資をITや人工知能にやってるのはアメリカ以外ではイスラエルくらいじゃないですか?
イスラエルも、やっぱり軍事的な背景が色濃いかな

-- イスラエル凄いですよね。なるほどなー。超参考になりました。

歴史を色々振り返って改めてこういう構造全体を理解しないとな。と自分でも思いました。

-- なるほどー。あのー。このメッセのやりとり、凄い面白かったのでブログに書いてもいいすか

全然いいですよ、いつも公言してることですし。
まーこういう話ならご飯とか食べながらいつでも。
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以上です。

興味深い話だったなーと思いつつ
別に児玉さんが全ての事象を把握した上で世界一正しい話をしているとかも思わない。

このエントリー読んだ人も「超参考になるな、なるほどそうなのか」って思う人も
「全然判ってない、要因はそこじゃないんだよ」って思う人も
「いまさら何の話をしてるんだ、そんなことは昨日今日始まったことじゃあないんだよ」って思う人もいると思う

見解ってのものは世界中でバラバラだから世の中面白いんだろうしどうとってもらってもいいと思ってる。

ただ一つだけ言えるかなって思うのは、これは「今日を作り上げた話(の1つの見解)」であって
未来もそうある、絶対にそうなる、みたいな話は1つも無いんだ。ということ。

今日ないものを明日実現しようと思ったときに、
過去に縛られないことと、過去を自分なりに知ろうとするプロセスは両方大事で

そもそも国なのか民間なのかとかの二元論や「べき論」よりも、
ビジネスや投資やアートの世界とどう接続性を生じさせるべきかみたいな話のほうが大事な気がしてる。


自分に関係ない話だな、って思った人はそれで全然いいと思うけど、
一方で、自分の身の回りのあらゆるものにこうした背景があるんだなって興味を持ち
昨日までは遠い話だったけど、自分も自分なりの関わり方ができるのかな?って思う人が一人でもいたら

その人に「僕はこの間こんな話を聞いたよ」って伝えたいと思ってこのエントリーを書きました。


★以下6月28日追記

上記の文章を書いたあとに、大学で産学連携に取り組んでいる人だとか、企業で新規事業・投資をやってる人とかと、似たような話をした結果、2015年6月時点での僕の結論が出た気がするので追記しとく。

キーワードは「儲けちゃおうよ」です。

なんかさ、素晴らしい研究を世に送りだすことは「大事だ」とか
日本がもっと元気になることは「大事だ」とか
イノベーションを支援していろんな課題を解決することは「大事だ」とか

世の中色々大事だって言われてることはあるんだけどさ

一番いいのは、「大事だってことに取り組んでたら、ほうらこんなに儲かっちゃいましたー」だと思うのよ。

再生医療は大事だ!っていうんじゃなくて、再生医療は儲かるよ!

研究者の支援は大事だ!って声を大にして言うんじゃなくて「研究者の支援は儲かるよ!」
とか。

「イノベーションの支援って超儲かるよ!課題を解決するって超儲かるよ!」

これ。

儲かることなら、投資が集まるじゃん、人が集まるじゃん、資本主義は色々瓦解しそうな匂いもするけど(この話長くなりそうなんでまた別で)、でも
「儲かることの証明」って凄く大事だと思うのよ。


「儲かるだけ」じゃダメだけど。いや人それぞれだから別にいいけど俺は「儲かるだけ」の話がぜんぜん興味沸かないから。


スタートアップの投資家向けピッチとかも結局「儲かる&意義がある」だし
特に俺みたいにプログラム書いたり得意な研究領域持ってたりするタイプじゃない、何かの強みを持ってるわけじゃないけど、プロジェクトを進めたり外に広げる人は

「超儲かっちゃう。もういやんなっちゃう」って言う証明をするのが大事なのかなと思ってます。

よし下半期何やるか決まったなこれ。