3/11に、成田空港で地震に遭遇し、空港内で20時間足留めされ
まだ余震が頻発し、空港内に寝袋で床に寝る人達を縫うようにしてチェックインカウンターに行き
奇跡的にとれた振替便で出発
被災地の状況も、都内の停電も、原発の様子もよくわからないまま過ごした
アメリカ、テキサス州オースティンでの1週間を経て
19日(土)午後3時、無事に帰国しました。
成田空港での出来事や、アメリカで感じた事、考えたこと、出会った人達のこと、については
往復の機内で書き溜めた、とんでもない文字数の下書きがあるので
それをまとめて、後日エントリーしようと思います。
とりあえず、
成田空港が、正常通り動いている風景にまず、感無量でした。
あの日みた、
ロビー内が大きく揺れて、サインボードが音をたてて揺れて、天井から物凄い量のホコリが落ちてきて視界が霞み
あまりの揺れに外国人旅客がその場にへたり込んで動けなくなり
エスカレーターが停止、一晩開けても空港中の床に寝袋で夜を明かした人達が疲れきった表情で座っている
そんな空港の風景が、すっかり日本の玄関としての風格と落ち着きを取り戻していた事
都内が、少し騒々しさが無くて薄暗い場所があったけど
みんな普通にいつも通り、やっていた事
久しぶりの日本での夜は、アメリカに比べると寒くて
でも、とても静かで穏やかで
びっくりするくらい月が綺麗だったこと。
とりあえず10時間爆睡して、やっぱ日本もいいねえと
普通に思えることの喜び。
さて、やりますか皆さん。
いつまでも不謹慎とか自粛とか、中途半端に周りに気を遣うような真似してないでさ
電力消費は少なめに、被災地で頑張ってる人達への祈りと尊敬の念だけ忘れずに。
がんがん仕事してがんがん消費して、経済ぶん回して行きましょう
アメリカで食ったテキサスビーフってさ、
日本で食う牛肉なんかと違って、全然硬いの。
それをさー、何百グラムも噛みちぎって、肉汁と血を滴らせて食ってるとさ
肉食だとか、サヴァイヴしてくことの意味や、欲求がどんどん目覚めるのよね
サシが沢山入った、柔らかくて美味しい牛肉も嫌いじゃないけど
あんまし口当たりのいいもんばっか食ってるとよくねえなーと。
せっかく東京でさ、ある程度日常が支障なくおくれる立場にあるんだったら
もう、『いつも通り』を、ちょっとだけ『いつも以上に』やったらいいと思うわけ
さてー頑張りますかー
未来は予測するものではなく、自ら創る。っていうプラットホームやってます。
先進的研究を事業化してイノベーション創発の場を作るのがライフワーク。
その他スマートセキュリティのプロダクト手伝ったりしてます。
ふざけた発言ばかりのTwitterはこちら。真面目な話はNewsPicksでやってます
2011/03/20
2011/03/05
アメリカを巡る、僕の話。(その2)
前回の投稿、アメリカを巡る、僕の話。(その1)はこちら
色々と事前のやりとりをしていた人事(?)の人から
たしか9時に東京駅集合で、起きたら8時55分。
田舎過ぎてiPhoneが圏外になり、とりあえず死んだ魚の目で車窓から流れる景色を眺め
死んだ魚の目の僕を、活き活きとした魚が近くに泳いでいる場所まで
列車はひた走り、なんとか上総一ノ宮の合宿所に到着。
アルバム発売当時、アメリカに初めての黒人大統領誕生か?というニュースがよく流れていた。
一度も行った事が無いアメリカを想いながら書かれた曲、リリースされたアルバム
淡々と、意識せずにサービスのターゲットとして捉えられたアメリカ
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2010年9月
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8月末で7年勤めた会社の最終出社を終え、9月は丸々休暇に充てた。
1ヶ月間も休むなんて、社会人になってはじめてじゃないかな?
10月から働く事になった頓智ドットから連絡が来た。
色々と事前のやりとりをしていた人事(?)の人から
『9月の第二週、週末に1泊2日で全社員研修をやるから、もしよければ親睦も兼ねて同行しませんか?』
とお声掛けを頂いたので、行く事にした。
※実は、当時人事担当だと思っていた人物が
うちの敏腕CFOだと判ったのは、入社後なんだけど。。。
合宿当日、朝早い時間に東京駅京葉線ホームに集合。
ぼくは
がっつり遅刻したwwww
もう起きた瞬間にあきらめがつくくらいの完全なる寝坊。
たしか9時に東京駅集合で、起きたら8時55分。
どうしよう。どどど、どうしよう。
土曜の朝早く(寝坊してるけど)、
まだまだ嘘を飲み込み静かに眠っているMAD CITY((C)BOOWY)の空を見上げながら
あらかじめ聞いてあった連絡先に電話を入れ、受話器が擦れんばかりに謝ったあと
1時間遅れで外房線に乗り込み上総一ノ宮に向かった。
1時間遅れで外房線に乗り込み上総一ノ宮に向かった。
急いで電車に乗ったので暇を潰す道具はiPhoneくらい。
『途中、着く駅で4sqにでもチェックインするかー』とかのんびしりてたら
田舎過ぎてiPhoneが圏外になり、とりあえず死んだ魚の目で車窓から流れる景色を眺め
死んだ魚の目の僕を、活き活きとした魚が近くに泳いでいる場所まで
列車はひた走り、なんとか上総一ノ宮の合宿所に到着。
既に班分けされていて、僕は(当たり前だけど)初対面のメンバーに混ざり
チーム対抗の合宿がスタート。
誰が何をしているか、名前も全然わからないなか1日目が終わり。
ホテルの部屋も班同士の相部屋。
そこで、僕は研修中から気になっていた男と少し話した。
名前は児玉さん。
研修中から連呼していた『構想中のサービス』についての説明を聞く。
仮タイトル『domo』
科学者を父に持ち、一流の大学院で博士号を取るほどの男が
自信満々にサービスの説明をする。
人と人とのエンカウント、単純な視覚効果に留まらない
本当の現実拡張の世界。
人と人とのエンカウント、単純な視覚効果に留まらない
本当の現実拡張の世界。
まだまだマインドセットが古い状態でいた当時の僕には
純粋に『面白いな』と感じた程度の話だった
純粋に『面白いな』と感じた程度の話だった
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2003年9月
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菊地成孔の療養で延びに延びていた、DateCoursePentagonRoyalGardenの
2ndアルバムが発売になった。
2曲目のタイトルは
structure II la structure del' Amerique medievale / 構造 II(中世アメリカの構造)
恐らくこのアルバムの中で、最も無秩序なポリリズムが交錯するカオスそのものの曲
一度もいった事がないアメリカ、SXSWへの客演で初めて上陸するはずが
自身の療養のため、それが叶わなかったアメリカ。
その3年後、2006年に発売されたDCPRGの3rdアルバムのタイトルは
一度もアメリカに行った事が無い、フランツ・カフカにとっての、アメリカ
アルバム発売当時、アメリカに初めての黒人大統領誕生か?というニュースがよく流れていた。
変わろうとするアメリカ
一度も行った事が無いアメリカを想いながら書かれた曲、リリースされたアルバム
最初から、特に海外展開なんていう仰々しいワードではなく。
淡々と、意識せずにサービスのターゲットとして捉えられたアメリカ
この年のSXSWで、リリースから僅か数ヶ月のサービスが
intaractive部門でアワードを獲得
次世代のサービスとして一気に注目を集めた
2011/02/18
アメリカを巡る、僕の話。(その1)
※ざっと下書きしたら、とても1エントリーに収まらなかったので
何回かにわけて書く事にしました。
たぶん、3月中旬まで3〜4回に分けて書く事になるかと。
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2002年7月 苗場スキー場 フジロックフェスティバル会場
何回かにわけて書く事にしました。
たぶん、3月中旬まで3〜4回に分けて書く事になるかと。
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2002年7月 苗場スキー場 フジロックフェスティバル会場
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毎年、7月の最終週は10人くらいの仲間でフジロックに行くのが恒例だった。
上は30手前から下は大学生まで、年齢差は10歳あったけど
この10人はゆるーく繋がっていて、音楽や普段の趣味もばらばらの癖に
唯一の共通点が『生粋のFujirockers』だということ。
最終日の3日目、朝イチで特に見たいものが無かったので
porarisやゆらゆら帝国を観に行くみんなとわかれて
僕は一人でホワイトステージに向かった。
そこで観たDate course pentagon royal gardenが
僕にとって初めての『菊地成孔』の体験だった。
なんだかよくわからない。
なんだかよくわからないのに、体が自然と動いて
後半のhey joe〜mirror ballsの辺りはなんか腕を振り上げてなんか叫んでた気がする
この年で一番印象に残ったアーティストだった。
東京に戻り、色々検索した。すぐに菊地成孔のホームページをみつけた
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2010年8月 東京/新宿 頓智ドット株式会社 MTGスペース
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9月末にいまの仕事を辞めるとは決めたものの
転職活動はほんとうにしんどかった。
たしかに不況ってのもあるんだけど、なによりも条件を縛り過ぎている。
エージェント会社の担当も、口には出さないけど『もう少し条件を広く…』と言いたくてしょうがないだろうなー
だけどさー、このタイミングでこの年で動くってのはそれなりの覚悟があるわけで
ここで妥協しても、なんもいい事ないしなー
レジュメは120社みて、面接も20社くらい受けた。
けどどこもしっくり腹に落ちるところが無くて、こちらからお断りした企業も
半分以上あった。
121社目に紹介された頓智ドット株式会社。
ARとかセカイカメラとか、名前くらいしか知らない。
面接がはじまって、10分くらいたった頃
『あ、採用されたらここにしよう』と直感的に思った。
面接はなんだか異様に盛り上がって、楽しくて何話したか覚えてない。
2日後、採用の連絡が来た。
おかしいな、2次面接まであるって聞いてたのに
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2002年10月 自宅
音楽関連のニュースサイトを漁っていたら、DCPRGの事が載っていた
サウス・バイ・サウス・ウエスト…?
アメリカのオルタナ系ミュージックイベントか。
でも大丈夫かな、菊地さんのHP読む限り、相当病気の様子もよくないのに
飛行機とか乗れるのかな…?
(当時、菊地成孔は不安神経症の療養中で音楽活動も散発的だった)
案の上、僕の予測は当たってしまった。
DCPRGはSXSWへの参加を取りやめ、菊地成孔のアメリカ上陸は幻となった。
しかも予定されていた2ndアルバムの発売まで無期限延期となった。
Twitterもmixiもfoursquareも、facebookもまだこの世に生まれていなかった
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翌年、ぼくは3年勤めた家電量販店を辞めて
ネット業界で働く事になった。
2003年4月のこと。いまからちょうど8年前か
(続く)
2011/02/07
バンド演奏から考察する、コミュニケーションの話
今日は、ぼくがいま活動しているバンドについて書きつつ
『普段あまり使わない知覚でのコミュニケーションの話』の
二部構成のうちの第一部をお届けします
昨年の5月、僕はTOKYO M.A.P.Sというイベントを観に行き
そのまま帰ってきてこんな文章を書きました
この時、僕のベースは埃を被った状態で、昔の音楽仲間とも十年近く音信不通。
25歳で『仕事としての音楽』を100%辞め、かなりの年月が経ち
その間、夏フェスやライブは何度も行きましたが
それに感化されて『自分でもまたバンドをやろう』とは不思議と思いませんでした。
上記のブログを書いて二週間後、Twitter上でのやりとりが発端になり
もしかしたら、当時の僕は近い未来に起こる何かを察知したのかもしれません
あるいは、文章に書き明示する事でその『何か』を引き寄せたのかもしれません
今だから正直に言えるのですが、最初のスタジオに入るまで
僕は凄く緊張していました。
初めて合わせるメンバーだから、というのもありましたが
それ以上に重要なポイントが。
それは、バンドでの会話というのはいわゆる『言語』を介さずに行われるという点。
しかも、よく言われる『アイコンタクト』というものも
実はほとんど無かったりします。
※もちろん、キメの部分やパートチェンジところで自然と互いを見合う事はよくありますけど
※もちろん、キメの部分やパートチェンジところで自然と互いを見合う事はよくありますけど
要は【視覚】及び【言語】という日常生活で人が最も依存しているであろう2つの感覚が
実は音楽ではあまり使われていないのです。
(※あくまで独自理論です)
よほど譜面通りにかっちり弾くようなスタイルを取らない場合
ほとんどは演奏者同士の『呼吸』によって曲が進行して行きます。
(※曲演奏前のやりとり、たとえばこんな感じ※)
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じゃあ…えーっとテーマを2回繰り返して、Aパート2回やって
その後は一人ずつソロ回して行きましょか。
Saxゴウスケさんから入って…トランペット、ピアノ…ギターの順で。
最後ギターのヤマトさんソロ終わりでテーマ戻って、
2回繰り返して最後8小節目の4拍目で『ジャッ!』と切って終わりましょか
ソロは…最初はとりあえずひと回しずつで。
テンポは…(足を踏み鳴らす音)これくらい?
(普通に4カウントから入ります?)
いや、ドラムがリズム刻んでいるところに適当に入ってく感じで
(はーい、んじゃいきまーす)
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はじめてスタジオであわせる曲でも
演奏前の口頭での確認ってたぶんこれくらい。
あとはよっぽど崩れた時以外は曲止めずに。
バンド組んだ事がある人なら、わかると思いますけど
この程度のコミュニケーションで『あとは演奏しながら』って合わせられるのは
この程度のコミュニケーションで『あとは演奏しながら』って合わせられるのは
かなりスムーズな状態なんですよね
音楽における『レベルの高い/低い』っていうのは
実は『どれだけ難しいフレーズが弾ける(吹ける/叩ける)のか』ではなくて
『演奏しながらの会話』がどれだけ出来るのか、というか相性が合うのか?
に掛かっていると僕は考えています
特に、僕は担当楽器がベースですから
とにかく『ドラムの人』との会話の相性が凄く大事なんです。
実際の会話でも
『全然あいつ悪いやつじゃないし、気も利くし、配慮のある発言もできる、
頭の回転も速いし、趣味も会うはずなんだけど、、、
なんか会話が噛み合ないというか。。。』
っていう人、いませんか?
世の中、やっぱりベースとドラムが一番人口比率が少ないので
『相性のいいドラム』と組む機会があるかどうか?
って、ベーシストにとって凄く重要な出来事なんです。
実際、若い頃に相性のいいドラム(しかも自分より上手い)と出会えた人って
そのあと急速に上達するんですよね
ええーとですね。
いつもどおりだらだらとした文章ですが(苦笑
一体今回のブログはなにを書いているかというと
一体今回のブログはなにを書いているかというと
いま組んでいるバンドは、以上挙げた点において非常に僕以外のメンバーが素晴らしくて。
特にドラムのカワムラヨシヒロくんとの出会いは非常に大きかった、という事
っていう話を、本日2月7日はそのカワムラヨシヒロさん28回目の誕生日という事でw
前から『ブログにバンドの事を書こう』と思っていたついでにw
書き記してみましたよー。っと
………べ、べつに…誕生日迎えてもまだあと2年も20代だなんて…
ぜんぜん……うらやましく…な…ないんだからねっ///
>バンドの皆様
これからも、ふつつかものですがよろしくお願いします
ライブやりたいっすね。
ライブやりたいっすね。
2011/02/03
唐突ですが、英語名は『Tommy』です
いま、実は英語を勉強中なので
その事についてブログで触れようかと。
まず、何も言わずこの↓2つの動画をみてください
TechCrunch 50 Presentation "SekaiCamera" by TonchiDot
……どうですか、このヘタクソな英語(笑
……すいません、自分を棚に上げてしまいました。
この動画は2008年、アメリカ・サンフランシスコで行われた
TechCrunch50という世界最大のWeb新サービス見本市において
弊社のCEO井口が、初めて『セカイカメラ』のコンセプトをプレゼンした動画です
この下手な英語で日本企業で唯一ファイナリストに選ばれ
アメリカのTech系キーパーソンにプレゼンと質疑応答を行った動画は
その後口コミで拡がり、イベントにおけるこの年一番の話題となりました
今年の3月、SXSWというイベントに参加する為
僕は頓智ドットのMarCom担当として
アメリカ、テキサス州オースティンへ乗り込みます。
現時点でほとんど英語が話せませんが
前述の動画で、つたない英語でプレゼンしていた井口は
今はわりとすらすら英語が話せています。
Bassline changes my life.
ぼくも必死でやれば、どうにかなると思って現在猛勉強ちゅう。
どうにかなる、じゃなくて『どうにかする』か。
単純に、日本語だけだと1億6000万人止まりですけど
英語が話せれば5億1000万人とコミュニケーション取れるっていう、
理由はそれだけ。
そうそう、うちのMarComチームには
名前が直(すなお)なので、英語名『snow』
名前がsuniで、英語名『sunny』
の二人がいて。
この2人、まるで正反対(性格もw)
で、僕も英語名をつけようという話になり
つけたのが、tomoyaから取って『tommy』です。
トムでもよかったんですけど、これにはちょっと理由があって。
この作品を皆さんはご存知でしょうか?
ロックオペラの名作『トミー』
この作品の母体となったのは、The whoというアーティストのアルバム(※タイトル同名)
そんなモッズカルチャーの代表格バンド、The Whoの代表曲に
『my generation』という曲があるんです。
歌詞の中で、こう歌っています
------------------------------
------------------------------
決して前向きな歌詞なんかじゃないんですけど
僕に取っては、なんか縁起いいなと思えたのです。
3月に、アメリカで『This is my generation!!!!!!!!!』って叫んでこようかなと思います。
※文中で紹介したTechCrunch50は、残念ながら09年を最後に行われていません
この事については諸事情あり、今は書けませんが
今月後半くらいのブログで書く事になると思います。
一言でいうと、時代の流れと共に色々移り変わって
僕らはそれにうまく併せて生きて行く、という事くらいでしょうか。。。
その事についてブログで触れようかと。
まず、何も言わずこの↓2つの動画をみてください
TechCrunch 50 Presentation "SekaiCamera" by TonchiDot
……どうですか、このヘタクソな英語(笑
……すいません、自分を棚に上げてしまいました。
この動画は2008年、アメリカ・サンフランシスコで行われた
TechCrunch50という世界最大のWeb新サービス見本市において
弊社のCEO井口が、初めて『セカイカメラ』のコンセプトをプレゼンした動画です
この下手な英語で日本企業で唯一ファイナリストに選ばれ
アメリカのTech系キーパーソンにプレゼンと質疑応答を行った動画は
その後口コミで拡がり、イベントにおけるこの年一番の話題となりました
今年の3月、SXSWというイベントに参加する為
僕は頓智ドットのMarCom担当として
アメリカ、テキサス州オースティンへ乗り込みます。
現時点でほとんど英語が話せませんが
前述の動画で、つたない英語でプレゼンしていた井口は
今はわりとすらすら英語が話せています。
Bassline changes my life.
ぼくも必死でやれば、どうにかなると思って現在猛勉強ちゅう。
どうにかなる、じゃなくて『どうにかする』か。
単純に、日本語だけだと1億6000万人止まりですけど
英語が話せれば5億1000万人とコミュニケーション取れるっていう、
理由はそれだけ。
そうそう、うちのMarComチームには
名前が直(すなお)なので、英語名『snow』
名前がsuniで、英語名『sunny』
の二人がいて。
この2人、まるで正反対(性格もw)
で、僕も英語名をつけようという話になり
つけたのが、tomoyaから取って『tommy』です。
トムでもよかったんですけど、これにはちょっと理由があって。
この作品を皆さんはご存知でしょうか?
ロックオペラの名作『トミー』
この作品の母体となったのは、The whoというアーティストのアルバム(※タイトル同名)
そんなモッズカルチャーの代表格バンド、The Whoの代表曲に
『my generation』という曲があるんです。
歌詞の中で、こう歌っています
------------------------------
People try to put us d-down. Talking about my generation
Just because we get around. Talking about my generation
Things they do look awful c-c-cold. Talking about my generation
I hope I die before I get old. Talking about my generation
This is my generation,
This is my generation, baby.
------------------------------
決して前向きな歌詞なんかじゃないんですけど
僕に取っては、なんか縁起いいなと思えたのです。
3月に、アメリカで『This is my generation!!!!!!!!!』って叫んでこようかなと思います。
※文中で紹介したTechCrunch50は、残念ながら09年を最後に行われていません
この事については諸事情あり、今は書けませんが
今月後半くらいのブログで書く事になると思います。
一言でいうと、時代の流れと共に色々移り変わって
僕らはそれにうまく併せて生きて行く、という事くらいでしょうか。。。
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